May 1, 2003
www.marilynmania.com
Japan
Cyril Helnwein
Cyril Helnwein interview with Marilyn Manson
translation from "tastes like chicken"-article
シリル: あなたの貴重なお時間に感謝します。あなたにインタビューできることは非常に光栄であり、名誉に思っています。 マンソン: これを読む全ての人々に代わって感謝する—彼らは、我々のこの対談が私のキャリアにとって如何に重要かを知らないだろうから、なぜなら君は私を父上(ゴットフリート・ヘルンヴァイン)に紹介してくれ、我々は偉大な仕事を共に行う事になったからね。したがって、これは読者にとって、舞台裏の紹介になるだろう。 シリル: ええ、あなたは僕の一番好きなアーティストなので、僕は今、とっても興奮しています。 マンソン: ありがとう、君が私を(父上に)紹介してくれたので、私は君に借りがあるよ。
シリル: ええ、あなたは僕の一番好きなアーティストなので、僕は今、とっても興奮しています。
マンソン: ありがとう、君が私を(父上に)紹介してくれたので、私は君に借りがあるよ。
シリル: どういたしまして。オーケー、では最初の質問です。もしも今日が地球最後の日だとしたら、あなたは今何をしたいですか?
マンソン: それはインタビューされるまでもなく確実だな。私はパフォーマンスをしていたいと思うね、なぜなら、私はいつも、ステージでパフォーマンスをしながら死にたいと発言して来たから。しかし私は今、板挟みになっている——ひとたび、何か愛するものやペットに愛情を持つようになれば、それは困難なことになるだろう。私は一部では、今までの人生で私とファックした相手を全て道連れにして皆殺しにしてやりたいと思うが、また一部では、恐らく、私のガールフレンドと、猫と一緒にただ静かに座っていたいと思うだろうね。
シリル: あなたは、ミュージシャンとしてだけでなく、パフォーマンス・アーティストとして、また作家として、プロデューサーとして、そして監督として、また成功を収めた画家として、どのようにインスピレーションを見出しますか?何があなたに創作意欲を掻き立てますか?
マンソン: 私は常に絵を描きたかったし、子供の頃から描いてきたので、自分がミュージシャンと呼ばれる事を恐れていた。私は執筆を試みたが、私は自分の考えについて述べることを楽しんだ、しかし、私は他人について語る事を好まなかった、だから実際はジャーナリストにはならなかった。しかし、私は他人をウォッチングして、それをリポートする事は好きだ、したがって、それが結局は同じことを意味するので、私は、画家であり、ミュージシャンでもあるのだろう。しかし、ジャーナリズムは、ある意味では諸悪の根源であり、全てのアートの源泉でもあると私は思う、なぜなら、それは全ての他人に影響を与えるので。
しかし、私は単にエンターティナーと呼ばれる事を恥じてはいない、なぜなら、アートは興味深いので、時々、私のある部分はユーモラスで、ある部分は悲しみに沈み、ある部分は混乱していて、ある部分は怒りやセックスに駆り立てられている。私はこれらの(絵画の)いくつかを描く上で非常な苦心をした。私を解放したもの、そして私が思う唯一のことは—あるがままに行動することがアートであり、演技であると言うことだ。あなたは監督として自分自身を解放しており、また別の面では、アーティストでもあると言えるだろう。
そして、私は自分の行動の全てを非常にコントロールしているので、開放を楽しんだ、他の何者かに自分を仮託して、自分自身を演じないこと——行動するためには、君は別のキャラクターにならなければならない。そして、私が好き好んで余りにも多くのキャラクターを演じるので、それは私自身の人生と紛らわしくなる。人々は良くこう尋ねる——「あなたはステージ以外でも同じですか?」そして私は時には、ステージにいるときよりも、もっとコントロールが利かない。
人々は、私が、いい奴かあるいは嫌な奴かどうかを知らない、そして私はその両方だ。私は君の態度を反映する。私は、これが、私がマリリン・マンソンについての最初のヒントを得た瞬間だと思う、それはTVのトークショウが、アメリカの全てのチャンネルで、主要な番組になりつつあった時で、そこで連続殺人犯のインタビューがあった。また、死亡した有名人の特集で、次に、話題の中心は、「ブラックダリア事件」——少女が有名になるためにハリウッドに出てきて、結局はその死が彼女を有名にした、というような事件に移行していった。
あるいは最近では、コロンバインで、彼らが取るに足りない無名の人物だと思われたので、彼らは有名になりたがった。そして彼らは望み通りの物を得た、そしてニュース・メディアが彼らにそれらを与えたのだ。私が最初に(このような)興味を持ったのは、美の背後にこれほど多くの悲劇があった、マリリン・モンローの周辺に関してである。私は、ハリウッド大通りで販売されるTシャツから、彼らが人間性を奪ったので、非常に多くの人々がそれを見落としていると思う。
そして同時に、私はチャールズ・マンソンがインタビューにおいてこれらの全てにおいて同様の発言をしているのを見出した、それは'69年の発言だが、'96年においても、また現代においても通用するものだ。彼は、文化について、私の発言を裏付ける多くの発言をしており、私は彼が文化の申し子であると考えるようになった。君はどうやってアメリカを——アメリカが作り出したものを憎むことができる?それは君自身のクソで発狂するようなものだ。
君は何か違ったものを食べるべきだった。その全てはなぜか私の脳で霍乱を起こし、また19か20歳になって、自身が何者であるかを決定せねばならない時期になって、私は自分が成長したくない、ピーターパンになりたかった事を知った。そして私は、どのような他人の規則にも縛られない世界を創造することを決めた、そして、マリリン・モンローと、チャールズ・マンソンは、その世界の象徴(説明)だった。音声的に、それは例えば「アブラカタブラ」に似ている、ご存知のように、マンソンは彼の姓から採っている、そしてマリリンは、その名前が、まるで「ミッキー・マウス」のように良く釣り合った。
それは全てを言い表す、君は「マリリン・マンソン」と言う、そしてそれはいかなる説明をも必要としない。君がどこの国の出身でも、それは一瞬であるイメージを召還するだろう。それは非常にアメリカ的だが、しかし同時に、私はヨーロッパの人種のように思考し、私はの名前の選択理由は、アメリカへの賞賛と手厳しい批評の双方であると思う。
また、その種類の創作は、私が矛盾の中で成長する場面をもたらす。君の父上や、現在のバンドメンバーでスェーデン出身のティム・スコルドとの仕事のように。私が部外者としての視線からそれを見ているので、ヨーロッパのアーティストは、アメリカの文化についての私の理解を評価するのだと思う。私は常に部外者として扱われた、また、それは私にアメリカを嫌わせはしない、私はそれを愛してはいないが、私はそれが何者であるかを見据えている。
ともかく、問題の一部と解決策の一部では、君達にはどのような最終的な解決策も無いので、その最中を楽しむことだけが出来る、まさにショウの一部として。私は観客になりたくはない、私は常にステージの上に居たい。そして現在、自分のやっている事で、私はただステージの上にだけいたくはない、私は全ての人々がショウに参加して欲しい。
シリル: あなたがジャーナリストのブライアン・ワーナーとしてとして最初に書いた作品の一つは、マリリン・マンソンに関するものでした。
マンソン: それはまた、私が心の奥底で深く思っていたことの部分だった、私は、自分自身がいずれ現在の私の姿になることを知っていた。しかし、最初は「私はこれから先の人生でどこに行くのか」という不安に捉われた、私は、アイデンティティーの秘密をほぼ制することができると思った。私は、恐らくジャーナリストとして、ローリング・ストーンやその他の下らない大きな仕事を継続して確保できると思った、また、私はバンドを始めたときこう考えた、「さて、誰も俺が本当は誰なのかを知らない、俺はここにどんな友人も持っていない、ではなぜ俺は記事を書かないんだ?全てのレコード会社に電話しないんだ?私はそのバンドに関する記事を書くことにした、『スゴいバンドの名前を聞いたぜ、その名もマリリン・マンソン——なぜ彼らと契約しないんだ?』とね。その仕事は私が(マンソンとブライアンの)二人の存在であることを望まなくなるまで続いた、私はただ一人の存在になりたかった。それは別の存在になることではない、私は言ってみればそれらをただ一人の存在に絞りたかった。
シリル: もしもあなたが、サメに食われるか、体に毒物を注射されるかの、二つの選択をしなければならなくなったらどうしますか?
マンソン: (笑)私は毎日、アブサンやらその他の何かで、十分に致死量に当たる毒素を摂取し続けていると思うよ。私はフロリダで育ったが、映画の「ジョーズ」が本当に怖くて、子供の頃は滅多に海には近づかなかった。以前の、私のインスピレーションがどこから来るかの質問だが、映画は私に、インスピレーションやその他の全てに渡って、本当に多くのものを提供してくれる。

また、それはなぜかと私は考える、私はそこで、言ってみれば、公共の消費のための何かを制作する必要や、消費者の要求で仕事をする必要も無く、——ただ芸術的な目的のためだけに、何かに集中できる自分自身を発見する。それこそが私の至福の瞬間だ。それが私が絵画制作を好む理由だ、なぜならこれらの作品を制作するとき、私はこう考えはしない、「人々はこれを好むだろうか?」とか、「誰かがこれを買ってくれるだろうか?」とか、「もっと有名になるためには、この手の作品をもっと沢山描くべきだろうか?」など。それが私を和ませ、私自身を楽しませたので、私は描いたのだ。
幾つかの作品は、他の人々への贈り物だった、そして、誰かに贈り物をすることは、私にとって気分のいい事だった。それはアーティストとしての存在からの開放だった、なぜならミュージシャンとは、あなたのファンたちで家族を作り、その母親になる事と似ている、そしてまた日曜日毎にあなたの子供たちに何かエサを与えるならば、あなたがそれを提供し続けなければ、彼らは発狂するだろう、もしくは、彼らは外出してマクドナルドを食いたくなるだろうね(笑)。従って、ミュージシャンとしては、私はファンの願望を考えなければならないが、しかし、私は彼らに私の変化を認め、私と共に成長して欲しいと思う。
しかし私は、我侭で横柄でありながら、同時に、彼らの忠誠を見捨てたくはない。従って、綱渡りのように前進を続けることは非常に困難であり、時には非常に気の滅入るような作業である、そして私のように、常にその姿を変え続ける者にとっては、物事を順調に作り続けることは非常に困難だ——この早回しの文化の中では、時には、記憶されるよりも早く物事は忘れられてしまうので。ほとんどの人々がなし得なかったことだが、私は、このような変化の多い音楽産業において、こんなにも長い間に渡って存在し続けられたことを誇りに思っている。
シリル :それは私の次の質問ともやや関係します、——あなたが制作した全てのアルバムは、それぞれ徹底的に異なったスタイルや態度、感触を持っていますが、しかしそれらはまだ容易にマリリン・マンソンの作品として認識が可能です。あなたは、自分がそれらを続けることに退屈して、何か全く異なった種類の事——例えばボーイズ・バンドか何かを始める事はありえませんか?
マンソン: そうだな、私は本当に映画音楽の仕事が好きだ。私が「レジデント・エヴィル」の仕事を始めた時、我々は故意にそれがロック・ミュージシャンであるマリリン・マンソンの作品のように聞こえる事を避けた。我々はスコアにギターを使用しようとした、しかし実際にはそれは、冷徹で、機械的で、荒削りな方法で用いられた。私とティム・スコルドとの共同作業は、その仕事を通じて全面的に始まった。私はその仕事を通じて偉大な経験をした、私の仕事は定義することが非常に困難だ、なぜならその仕事は非常に細分化されており、それぞれ別の仕事の担当者に分かれている、そこには伝統的なストリングス・アレンジ担当の作曲家がいる、また、既にあるアルバムからの音楽を採り上げる担当の音楽監督がいる、そして、雰囲気と不安さ、感情を掻き立てるための手触りを作り出すサウンドデザイナーがいる。
そして私はその全てを一人でやりたがった、私はそこに一人以上の人間が存在すべきいかなる理由も見出せなかった、従って、彼らは苦労しただろうと思う。私は、彼らの予測した以上のものをそれらに与えられたと思う、そして、彼らはそれに満足していた。しかし、職業音楽家として雇われた今一人の人物、マルコ・ベルトラミ、彼は古典的な作曲家として高名な人物だが、彼は全てを一枚の紙に書き出しさえする。我々(マンソンとティム)の音楽はフィルム全体の80%以上を占めていたが、しかし、彼は高名な作曲家なので、我々は彼の(ギャラの)支払額よりも小額だった、しかし我々は、現在の我々の能力を、その仕事を通じて立証できたと思う、我々は多くの依頼を受けている。
私は前日、「悪魔のいけにえ」のリメイクの仕事に合意した、私がそこで考えたものは、いんちきで、ばからしい物になるかも知れない、なぜなら最初の「悪魔のいけにえ」は、すべてのホラー映画の典型になったからだ、——私はそれを、心理的恐怖や、スラッシャーフィルムではなくて、最初の、最高の絶叫映画と呼ぼう。
私は「悪魔のいけにえ」からサンプリングしさえしたよ。(笑)しかし、私はそれを十分に変化させたので、彼らは私を訴えるべきではない。従って、私はそれを試みたいと同時に、それを取り扱ってみたい、そして私は会議の時に監督に言ってみた、彼はこう言った、「どんな音楽がいいと思うかね?」そして「エンド・クレジットに、マリリン・マンソンの名前を入れるべきかね?」そして私は、彼らが真面目な作品として「悪魔のいけにえ」を解釈しようとしているのを知って、それでは映画を破滅させるだろうと言った。
私が'70年代に見た映画は実話に基づいていた、そしてこれは真実の話であり、それはまた面白いねじれを作品に与えている、また私は台本を読んで感じたのだが、もしも監督がすべて正しいのなら、私はそれを音楽によって、非常に恐ろしい映画に作り上げることができるだろう。そして彼らは言った、「君は音楽をどうするつもりだね?」私はこう言った、「私は、多くの場合、音楽が無いほうが効果的だろうと思っているので、人々は沈黙のために私に金を払うだろうね」とね。最も良い映画の幾つかは、どんな音楽も持っていないのだ。
シリル: もしもあなたが、誰かにこの地上から永遠に居なくなって欲しいと願えるとしたら、それは誰でしょうか?
マンソン: 難しいな、誰でも彼ら自身の目的を持っているからね。私に危害を加えた全ての人々——彼らが作った傷跡は、何等かの歌に反映された。だからといって私はこれらに感謝はしないだろう、しかし、私は(その経験なくして)今の私自身になったかどうかを知らないが。しかし恐らく、私自身が全く個人的に別の人生を歩んだとしても——うーん・・・別の誰かが別の理由で私を破滅させていただろうね・・・。実に厳しい、厳しいったら厳しい!私はアダムを想定するね、そうしたら我々は誰もここに居ないだろうから。(笑)
シリル: もしも検閲が、アメリカでもヨーロッパと同じ程度に強かったとしたら、あなたはより挑発的であるか、もしくはよりとんでもない行為をしたでしょうか、そしてあなたはどこでご自分の行動の一線を引いていますか?
マンソン: アメリカにはヨーロッパとはまた異なった種類の検閲が存在する。アメリカはセックスに多くのこだわりを持っており、彼らはそれをきりもなく消費して利用しつくす、しかし、彼らはまたそれを恥じてもいるので、検閲を入れているのさ。実際、アメリカはヨーロッパよりも羞恥心が強い。また、その羞恥心の出所は、どんなフロイト主義者——あるいはヨガ学者や精神科医、心理学者でも——も君にこう言うだろう、米国のキリスト教、及びそれが作り出す羞恥心だと。
しかし、ヨーロッパには多くの政治上の検閲がある、君の父上のお仕事や、この私の例のようにね。日本ではまた奇妙なことに、私のメカニカル・アニマルのカバーが検閲を受けた。しかし、その理由は私がヌードだからというのではなく、6本指だったからだ。彼らは肉体的な奇形に関して非常に敏感だ。私は言った、「そうかい、じゃあ残りの部分はどうなんだ?」(身振りで体を指差す)そこは残らずおかしかったからね。(訳注:胸があって足がチョキ、目と髪が赤い両性宇宙人でした)
我々がワルシャワ(訳注:ポーランド>現法王の出身地)でプレイした時、私はいかなる宗教的なコスチュームを着たり、その種の行為をする事も許されなかった。私はショウを中止してファンを失望させたり、ショウを変更するのではなく、我々はそこで別の曲を演奏することを選んだ。今度発売するDVDに、そのショウからの映像も収録されている、我々はそこで一度だけステージに立った。こっちでは、人々は私が性器を露出した罪で私を逮捕したがっている、しかし彼らは同時に「野生の少女」(訳注:ポルノの類)を販売してもいるんだ。それが我々の住んでいる世界だ。なぜなら、彼らはそれを破るために境界線が必要なので、検閲もまた必要なのさ。
シリル: 全くです。あなたは何か個人的にボーダーラインを持っていますか?
マンソン: 絶対に、私の行為の全ては私のボーダーラインの範囲内にある、そして私のボーダーランは、しばしば、間違った理由による行為に関係している。私が最も嫌うのは、——検閲よりも、政府やMTVや会社による「これはダメだ」という横槍よりも——それがミュージシャンであれ、バンドであれ、アーティストであれ、彼らが自身を何と呼ぼうがかまわないが、成功のために彼ら自身を検閲することだ。
マンソン: ああ、事後に妥協をしないことだ。私は、皆がより広い視野を得るためにそれをするべきだと思う。君は、アーティストとして甘んじて受容できる妥協を見出さなければならない。たとえば、私の新しいレコードには、彼らがラジオで流したいシングルの候補となる多くの歌がある、そして、私はシングルがラジオで流されるために、冒涜について検閲をする必要があるかも知れない。しかし、もしも私が歌を書く段階でに、「これはキャッチーだ!」とか、「この言い回しはマズいかな」と考えることは間違っていると思う。
もしも君が金銭的な利得の予測のためだけに検閲をする場合は、それは君が自分自身を売り渡す時だ。その作品が完成した後に、誰もがそれを世間に適合するように作り変えねばならない。それはまだ創造行為の一部だ——私はそれを検閲とは呼ばない、それはボーダーラインの範囲内だ。それはアーティストとしての成功の追求であり、私にとっては、それは多くの人々が私の行動を見たがり、聞きたがっている事と同じであり、それは金銭の追求ではない。そして君は、より良い利益のための安易な妥協をしないことによって、容易に自分自身を打破することができる。
シリル: 妥協をすることですか?
シリル: その通りです。あなたが最後に見たテレビのホームドラマは何でしたか?
マンソン: 私は、テレビのライブ番組(トーク・ショー)そのものがホームドラマだと思うね。私はそれは俳優をキャスティングしたがらない怠慢だと思う、そして、その一部は覗き趣味だ——その一部の原因がインターネットだ、また、それを開発するカルチャーには極めて危険な側面がある、それは撲滅されるべきものであり、私は決してその一部とはならないだろう、また、それはTRL(リクエスト番組)やMTVのように、相互通信可能な状態の要素だ、例えば「ブリトニーは彼女の衣服を選ぼうとしています」「投票して、彼女の衣装を決めるのを助けてください」あるいは「我々は作曲のスタジオにいます、あなたの意見を聞かせてください」というように。
アーティストが聴衆に彼らの作品作りを手伝わせ始めると、アートは破壊される。それは、あなたが聴衆を喜ばせようとしていることでは全くない、しかし、それはある種の文化を形成している、——それは例えばホームドラマのようなものであり、それは実際の俳優でなく、それは現実でもない、それは結局カルチャーである、なぜなら、テレビゲームはアニメーション技術で非常にリアルな映像を作成することもできるので——それは(やがて)アーティスト(の存在)を排除するだろう。それは恐怖ではない、また、(アーティストとしての活動の)絶滅への恐れでもない。それは基本的な要素、それが失われることへの恐怖だ。
もちろん、私は音楽のレコーディングにコンピュータを使用し、我々は音やその他の制作にコンピュータを用いる、しかし、君はまだ何か価値のあるものを作り出すために、紙とクレヨンを持つことができなくてはならない。結局、それは自滅するだろう、キッズは現在、非常に残酷に成長した、なぜなら彼らは"give an inch take a mile" (寸を与えれば尺を望む)の中で育っているので、ひとたび彼らに自由に選択をさせ始めたら——もしくは、ウェブサイトに自由な投票を設けたならば、「どっちがいいと思う?」「クリスティーナ・アギレラとマンソンとどっちが先に出ると思う?」等の、そうしたらみんな勝手に投票を始めるだろうね。
結局、それはアーティストがただ要求どおりに行動するようになるだろう、それはただ人々が創造的になる事を望まないと言う事だ。それは創造性を奪うだろう。そしてインターネットには、ただ傍観して、「それはクソだ、俺ならもっとマシにやれるぜ」と発言できる多くの匿名の人々がいる。それへの兆戦は、「上等じゃねえか、てめえがやってみろよ!」(訳注:もっと上品に言うと「恐れ入ります、では手本をお示しいただけますでしょうか?」)となるべきだろう。それは、それが私の作品であれ他人の作品であれ、アートを批評しようとする誰もが、ジャーナリズムの環境を作るべき理由だ。君は何かについて定義することはできない、君は何かが好きか嫌いかを自由に発言できる、しかしそれ自身を分析(酷評)することはできない。
シリル: 皆それぞれ、幾つもの異なった意見を持っています。
マンソン: 物事はすべてその意味を持っている。それはただ人生とアートを楽しむという基本的な考えだ、映画に出演したり、常に映画とともにあること。多分私は間違っているのだろうね、私はいつか、他の誰かを演じている俳優である自分を見出すだろう。誰かが、私には重大な記憶喪失の気があると言ったよ。
クリス: ありうる話ですね・・・あなたはしばしばメディアの不当な責任転嫁によって起訴されました、あなたが本当の意味で有罪なのかどうかは知りません、しかし—例えばコロンバインのキッズのように、彼らは確実な証拠を持っていませんでした。あなたは、なぜ自分がスケープゴートとして選ばれるのか、あるいはこれがアーティストとしてのあなたの成功と独創性を示すものだと思いますか?
マンソン: 私は、他の要素と同じくらいに、コロンバイン事件にはアメリカの文化が影響していると思っている。しかし、私はそれが私が(コロンバイン狙撃犯の)ハリスとクレボールドの肖像の題名として「不作」を選んだ理由だと思う。花が適切に成長しない場合、君は、土地の所有者や、花束を持つ少女や、あるいは彼女に花を贈る男ではなく、(花を育てた)農夫を責めるべきだろう。
私は、人々はいつもショッキングな物を求めていると思う、あるいはその単語を呼びたがっているのだ——人々が私を絶えず「ショック・ロッカー」と呼ぶ場合、私はそれがジャーナリズムの怠慢であると思う、それは使い古された、聞き飽きた言葉だ。なぜなら私は、別に自分がショッキングだとは思わないのし、ショッキングであろうとしたことも無い。もしもこの私がショッキングで君の注意を引いた場合、それは表向きでは私は調子がいいと言うことだ——何かで君の注意を引けるのならば結構な事じゃないか。結論から言うと、もしもそれが、私が今まで経験してきたのと同じくらい長く続くのならば、それは非常に良いことであり、私にとって誇るべきことだと思う。
また、私は、別に傲慢にではなく言えることは、実際に我々が平凡な世界に暮らしていることが問題だと思う、そしてまた私は自分の前の、私がやろうとしている事のすべてに横たわるバーをクリアしながら進んでいこうとしており、偉大な人々と共に仕事をしようとしている、そして「ゴールデン・エイジ・オブ・グロテスク」の世界の道案内のために、より高度に審美的な世界を復活させようとしている。それは明らかに、私がなぜ君の父上と共に仕事をしているかという理由でもある、また、世界がそのように趣味のあった仲間や、刺激を求め合って他の人々と協力し合ったことは、ワイマール時代のベルリンや、あるいはニューヨークの'70年代に存在した、もしくは、ファッションや音楽、そしてアートはどちらかと言えば退廃的であり、はちきれそうになったまさにその時、全ての人々は恐怖へとなだれ込む世界を目撃し、それを何とかして引きとめようと試みた。新しいものを扇動するのは常に愉快なものだ。 私は何かを築き上げ、そして、他の誰かがそれを破壊しようとする。
シリル: あなた自身がやったことか、他の誰かが経験した一番傑作なパーティー・ジョークやイタズラを教えてください。
マンソン: たくさんあるよ、私は、私のグルーピーの一人が非常に卑劣だったと思う。我々がツアーで行った先のホテルにある少女がいて、私が友人たちやバンドのメンバーとリラックスしようとしていた時、こちらに近付いてきた。彼女は実に嫌な奴だった、彼女が私に、この私が誰かを尋ねた時、彼女は私が誰かを知っていたことは明白だった。私は彼女に答えたが、彼女は別にファンではないと言った、そして私が「いや、別に構わないよ」と言った時、彼女は傍に来て座り込み、私を悩まし続けた、そして私に向かって、私が誰かなんて全然気にしていないと言った。
そして私は、「そうかい、じゃあ帰れよ」と言って、その後自分の部屋に戻った、また彼女は、どういうわけか私の部屋を知っており、私のドアをノックした。私は最近、スパイ用品やその他のジョークグッズを販売しているスパイ用品店で、「エバキュエイター」(強力下剤の意味)という液体の瓶を購入していた、それは誰かの飲み物に入れると、直ちに下痢を起こさせるだろうと書かれていた、また、入院沙汰に成るかも知れないので、決して多量に使用しないようにとも。
さて、私はグラスにボトル全量を残らず注ぎ込んだ、そして、「おや、また会えて嬉しいよ、中へ入って何か飲めよ」そして私は先ほどの飲み物を勧めた。彼女は自分の部屋へ戻り、彼女の友人は私の部屋のドアをノックして、私と、隣室で寝ていた私のボディーガードを叩き起こした。「あたしの友達を見なかった?あなたと一緒に居なかったの?」「いや別に?」私は答え、「彼女は俺の所にいなかったよ」「まあ、あたし自分の部屋に入れないの、ドアがロックされているの!」ドアを叩き壊して中に入った一同は、すっぱだかでクソまみれでベッドに転がっている彼女を発見した。彼女は飲みすぎて酔いつぶれて、部屋中に脱糞していたんだよ。
シリル: ひえええ!
マンソン: 私は、それがかなり面白かったよ。(笑)
シリル: 彼女は貴重な体験をしたと思います。
マンソン: そうだな。
シリル: あなたはしばしば、オープンに違法薬物の使用を認めました。これは、芸術的な創造を支援するためでしょうか、あるいはあなた自身の楽しみのために?
マンソン: 私は、ドラッグは多くの場合、楽しみや、愉快な気分になるため、あるいはリラックスするために用いられると思う。その最悪の使用法は、処置できない憂鬱や、自殺に繋がる場合だ。私は極端なハイとローの状態を経験した、また、私は、特に今週と先週は、私は気が重く感じていた——それは決してドラッグやその類のせいではなかった、しかし、——(個展で)私の絵を見なければならなくなった人々に対する少々の心配があった。
だからといって、それが非常に重要だというわけではない——特に私にとっては、誰もが感情を持っている。つまり、人々の私への過小評価に対して、私がどれくらい敏感かという事だ。なぜなら私は非常に繊細なので、それは、私がなぜそれほどまでに劇的であろうとするのか、そしてなぜそのようなショウをせねばならないかという理由だ。しかし、今週、私はややポジティブな自分自身を見出した、私は取り越し苦労をやめて、より良い段階になるであろうと私がかなり確信している、次のレベルへ——ゴールデンエイジに——へと踏み出した、それは次のアルバムであり、それはまさに私の能力を人々に示すだろう。
以前に私を過小評価した誰もが、今、それとは異なった事を知るだろう。そして私は、どんなドラッグであっても、それはデカダンスとリラックスのための一部になるだろうと思う。もしもどれか一つを選ばなければならないとしたら、私はアブサンが私の一番の悪友だと思う、なぜなら私はこれが大好きなので。これは味が良く、私に多くの創作や、多くの絵画などの創造をさせる——まあ、それが私に最良の仕事をさせたとは言わないが。それは入り込み、頭頂部や耳朶の穴を突き刺し、そこに隠れていた悪魔を引きずり出す。それは愉快であり、決して憂鬱ではない。私は、かつては若い頃は破滅的な惨めな酒飲みだった、しかし今は異なるアプローチを持った、遥かに幸福な人間だ。
シリル: 私の特にお気に入りの、あなたの2枚の絵は、非常にアブサンに影響されているように見えます。1枚目は恐らく、ウィリアムズ・バロウズだと思います。もう一枚は「援助者(イネーブラー)」です。
マンソン: それは私の友人のジョナサンだ。そう、緑色はとても好きな色なんだ、私はそれに魅かれるよ、この「年老いた私自身」を描く時は、実際にアブサンを使用している。それらの2、3枚の絵を制作中に、私は、飲みながら右手に溶いた絵の具を持っていて、間違って飲み物に筆を突っ込んでしまったんだ、それがちょうどいい具合の緑色だったので、私はそのまま描いたというわけさ。というわけで、その二枚は私のお気に入りなんだ、ありがとう。
シリル: どういたしまして、私はあなたが私の次の質問に既に答えたと思います、しかし、恐らくそれだけではないと思います——あなたに特別に、嫌悪や恐怖、憎悪の感情を催させる何かが存在しますか?
マンソン: ああ、幾つかあるが、しかし私は——オフ日にだらだらと過ごしている時など特に——怠惰、あるいは何かを達成したいという願望が無いことが、私に最も嫌悪の感情を起こさせると思う、それは私がやや極端な職業道徳を持っているか、創造的な衝動かも知れない、なぜなら私は自分が仕事をしていると看做さないので、私は常に何かをしていないといられないんだ。
私がショウに非常に満足したので、今日は私が座って絵を描かないでいることは難しかった、私は新しい猫の絵を描きたかったし、私はその他のたくさんの物を描きたかったが、しかし、私は自分自身をリラックスさせて、そして君と会って、このインタビューを受けて、そして外出するように自分に言い聞かせた、だから本当に今日は外出して夕食を取ろうとした、それは私にとってとても珍しいことだ。
しかし私は、私が生涯の目標のために、協力してくれる人々やバンドのメンバーを見出し、彼らを引きとめることは困難だという事を知る、私は、自分は同じ野心を持つ人々とそれを共有して、共にそれを推し進めることを厭わないと思う。私はそれを、特に、このアルバムの制作に協力し、私自身が忘れかけていた私のやりたかったことを援助してくれたティムに見出した。
何も制作することを望まないか、あるいは平凡に満足しているか、与えられた才能を無駄にする誰かにとってはそうかも知れない。例えそれが芝を刈るとか、壁にペンキを塗るようなことだとしても。私はそれが私に最も嫌悪の感情を起こさせるものだと思う。私は全く冷酷な人間だというわけではない、私は、何かをやっている人が好きなんだ。
私は自分の両親を支援している、そして彼らは引退していて、どんな退職者所得も持っていないんだ。私は彼らを完全に援助している、私は自分が心配している人の面倒は見る。しかし君は、私が路上でホームレスに10セント硬貨を与えるのは見ないだろう。しかし、私はそれが実際に君の父上と私が作成している物語の比喩と、自由主義の理想主義がどのようにアメリカを失脚させたかという考えの一部であると思う、もしも君が人々に、他人の援助を期待してもいいと思わせたならば、彼らは自分たちの居場所を求めるために一生懸命に努力して、君に何かをもたらすだろう。
シリル: それは更に一層の犯罪を引き起こします。
マンソン: ああ、多くの人々がアメリカの資本主義を悪だと思っている、しかし、もしも君が貧しかったならばそれに文句を言うことはたやすい、そしてもしも君が裕福であったならばそれを憎むこともたやすいだろう、私は自分を別に金持ちだとは思わない、しかし、私は自分の10セント硬貨を得るために一生懸命に労働をしたと思う。だから私は所有するすべての財産を大切に扱い、決して愚かなことに浪費はしない。
シリル: 私は、あなたが次の質問にも既に答えたと思いますが、恐らくあなたは他の何かを加えたがっていますね。あなたを特に幸福で満足させるか、またはあなたに喜びを与えるものは何ですか?
マンソン: 幾つかある、私の猫と私はとても良い関係だ、そして、彼女は私を落ち着かせる、絵を描くことは私を幸福にさせる、レコードを仕上げることは私を本当に幸福にさせる。そこに至るまでの工程は非常にストレスが多いが。アナル・セックスと、愛している女性と共に鑑賞する良い映画は——アナル・セックスに話を戻すと、だからといって私が同性愛者だと君に思って欲しくない。
そして今日のようにリラックスできる日に、私は、アートショウと、そこでの人々の「やあ、俺はあんたの絵を気に入ったぜ!」そして私を侮辱するわけでもなく、私の聞きたい事を言ってくれるような、人々の正直な発言などのストレスの後で、私は思う。私は、何かを達成した気分で、非常に謙虚な気分だ、そして、自分が最善を尽くしたと思っており、自信に満ちている。今、人々は私がベストかどうか議論をすることができる、私はまた自分がベストを尽くしたことを知っている。それは誰にとっても最善のものであるだろう。
シリル: すばらしい!それはつまり私にとっての最高の纏めの言葉です。重ねてあなたのお時間に感謝致します。あなたはまだ何かおっしゃりたい事はありますか?
マンソン: 私は、次に来るものは、人々が今まで私から見聞きした、大人しいものに比べて十分に期待できると思う。
シリル: 私はそれを楽しみにしています。




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