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June 1, 2003
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Japan
ゴットフリート・ヘルンヴァイン(Gottfried Helnwein)
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6) ゴットフリート・ヘルンヴァイン


顔面を包帯でグルグル巻きにされた少女。
顔面を粘着テープで醜くゆがめられた男。
顔面を腐ったかのように変形させられた女。
腕には包帯が巻かれ、両目にはフォークが突き刺さり、唇は頬まで裂けている。

それがゴットフリート・ヘルンバインが描く世界である。そして後のこれらの作品を象徴するかのように彼のアーティストとしてのスタートもまた過激なものであった。彫刻刀やナイフ、かみそりの刃で自らの肉体を傷つけるパフォーマンス。それは、丁度ウイーンアクショニズムでヘルマン・ニッチが血のパフォーマンスを行っていた頃と同じ、場所も同じウイーンでのこと、彼が17才の時である。

人間は大なり小なり、誰でもその内面に残虐性やサディスム・マゾヒズムといった部分を持っている。ところが大抵はそれを表には出そうとはしない。暗部には誰もふれたがらないからだ。結果、それを生み出している部分に目を背けようする社会が生まれる。

問題は醜い部分を内在化させることではない、表面化させることである。そしてそれを見ることによって、世の中で迫害されている醜いもの・弱いものに対しての別の解釈を持つことである。もちろんよくある、それを大衆の目に晒すことによって、その根源となっている社会の暗部、例えば核・戦争・病気・飢餓・麻薬・犯罪・事故などに直接目をむけさせることもできる。

しかしヘルンバインの表現はさらにその先に向けられている。

人間の精神は常に勝者を求める。その過程で生まれるのは多くの敗者である。動物の論理は弱肉強食である。しかし人間は違う、自らの弱点を克服するために道具を使い、機械を発明し、進歩してきたのである。ところがこれはあくまで肉体的な部分での話であって、精神的な部分ではない。

では、弱肉強食ではない人間の精神の進歩とは何なのか?

それは 醜いもの・弱いものに別の解釈を持つこと、つまり、強いあるいは美しいと感じるその範囲を広げることである。ゴットフリート・ヘルンバインの目的はまさにここにあるのだ。

彼の作品を見て、美しいと感じられた時、それはあなたの精神が進歩した証拠である。その気持ちのまま、外に出て周りを見渡してみるといい。今までとは違った人間を魅力的に感じるはずである。

人間は美しいものばかりを求めてはいけない。醜いものの中にこそ別の美しさが隠れていることをあなたは気付かなければならないのだ。




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