ヘルンヴァインを知りたかったらこれを見るべき。ただし、前にも書いたように精神的にきついものがあることは確か。彼の作品は、我々が通常の生活において無意識のうちに目を背けている「現実」を我々の視覚に突き付ける。ただ、その根底にあるものが何かという問題は、まだ私の中で解決していない。少なくとも、これだけの仕事を続ける精神的エネルギーは並大抵ではない。それが、この世界の現実に対する怒りに基づいているのか、それとも彼の中の闇が密かにそのような表現を求めるのか?* 「yaso夜想/特集#「ゴス」」 (ステュディオ・パラボリカ, 2003.9.1)「ゴシック」は<俗世間>に対する嫌悪から、社会に背を向ける。「ゴス」を「ゴシック」の通俗化形態とするならば、ヘルンヴァインを「ゴス」に位置付けることは、すなわち、社会に対するヘルンヴァインの能動的批判を無視することになる。しかし、それで良いのか? 彼の一部の作品が、我々の抱えている闇と或る種甘美な共鳴を起こすことは事実だ。しかし、本当にそれだけなのか?
−日曜鋳物師の作業記録と雑感−「鋳物師」は「いもじ」ともいう。 ここでは、雰囲気で「いもじ」を採用。 でも、「日曜鋳物師」は「にちよういものし」。